中級三クラス作文
作文 「 私と日本語 」
「私と日本語」
皆さん、「皆さんは日本語のべんきょうをはじめたきっかけは何ですか」と言ったら、こたえは「かぞくとそうだんしたあとでべんきょうをはじめた」と言うと思います。でも私は日本語のべんきょうをはじめたきっかけはこどものころから日本にきょうみがあったので日本語をならっていつか日本へ行ってみたいとゆめみていました。
それで私は学校へかよっていたとき、へいじつ日本語のべんきょうのためにprivate classへかよいました。本当に今日本語をちゃんとべんきょうしている人はだんだんふえているのに、私が日本語のべんきょうをはじめたとき、私のまちの日本語を教えていたスリランカ人のせんせいは一人しかいませんでした。そのせんせいに6か月くらいひらがなとかたかなとすこしだけかんじをおしえてもらいました。でもコースがおわったあと日本語がはなせませんでした。
スリランカ人にとってみんながんばっていることばは、えいごです。なぜかというと、スリランカで大学や会社などでみんなえいごを使っているからです。だから私のちちとははは「なんで日本語をべんきょうしているの?日本語をべんきょうしたあとでどうするの?日本語のべんきょうをやめなさい」といったので、スリランカだいがくでコンピュータをべんきょうして、コロンボでせいふのかいしゃにはいりました。
でももういちど日本語のべんきょうをしたいとおもってスリランカにある日本のたいしかんであんないしている日本語のセンターで日本語のべんきょうをはじめました。そこで日本人のせんせいに教えてもらった日本語は、私が前に勉強した日本語とちがい、ことばもかきかたもありました。スリランカでちちとははとまわりの人たちから「日本語なんかならってもしかたがないからやめなさい。何かしごとにかんけいあるべんきょうをはじめなさいと言われましたけど、なんどもやめようと思ったときもあったけど、「ななころびやおき」ということわざがあるように、くじけずにがんばってきました。
そのけっかTCC日本語学校に入るチャンスをもらいました。自分のゆめをかなえるまでにがんばって、自分のゆめをなしとげるために日本に来ました。それはりょうしんから見ると私はわるいこどもかもしれません。せんせい、こどもさんが私みたいにおやのはんたいをおしきってすきなみちをすすんでいたらどうしますか?
どうしてもじぶんのゆめをかなえようと思ったら、あきらめずにがんばればかならずゆめがかないます。日本へ来て日本で生活してべんきょうするのは、ちょっとたいへんだったので、日本語のべんきょうはだんだんへってきましたけど、あきらめないでもっともっとべんきょうして、しょうらい日本とかかわりのあるしごとをやりたいと思っています。 (スリランカ 女性)
作文 「 人参 」
「人参」
漢字は、中国、韓国、日本で使われていて、意味や書き方などほとんど同じものもあります。でも漢字だけで交流すると、やはり問題があります。ときどき笑いものになる場合もあります。書き方が同じでも意味が全然ちがう場合もあります。こんな時うまく交流できないのはあたりまえのことです。
ある人が日本に来たばかりのことです。ものの名前もよくしらないけど、でも漢字はわかります。ある時、その人は野菜を売る店に入って、野菜を買うつもりでした。あちこち野菜の名前を見ていると、突然人参150円と言う字が目に入りました。人参が150円、冗談でしょう。
ちなみに人参という漢字は中国では朝鮮人参の意味です。値段が高い珍しい薬の材料ですから、そんなすばらしいものが日本では野菜の店でも買えるし、それより150円!そんな安い値段なんて、これはちっとも想像できないことでした。この人はよろこんでいっぱい買おうとしました。帰国のときプレゼントにあげるつもりでした。でもこれをみた店員が、そんなにたくさんの野菜を買うのはちょっとおかしいと思ってこの人に聞いて、げらげら笑ってしまいました。この人はようやくわかってきました。人参は日本語ではただの野菜の名でした。顔が赤くなって、でもしょうがない、一緒に笑うしかありません。
面白いでしょう。だからいくら似ている漢字でも日本人と話すときはちょっとあぶないですから、あまり自分も頼り過ぎないほうがいいと思います。これは中国語と日本語に違う点があるということです。(中国、男性)