上級クラス作文1
上級クラスの学生が、「遺伝子強化について」書いた作文です。
作文1-1
遺伝子強化について中国男
最近ヒトゲノムとIT革命が話題になっている。その中で将来もっとも論議されるのはヒトゲノムの遺伝子強化だ。私は遺伝子強化が人に肉体的、心理的な害が及ばなければ賛成だ。
それにはいくつかの理由がある。
一つ目、自分がやりたい事ができるからだ。人はみんな自分の夢をもっているがその夢をかなえるためにどんなに一生懸命頑張ったとしても成功する人はわずかその中の一部だけだ。私も小さい時は自分の夢を持っていた。その夢は大人になって有名なサッカー選手になることだった。でも運動神経が発達していないから学校チームに入ることもできなかった。もしマラドーナの運動遺伝子をもらったらたぶん今みんな知っている中田選手より、もっと有名な運動選手になったはずだ。
二つ目はもっと豊かな世界になるはずだからだ。今までの歴史はそれを証明した。人類が今のように発展したのは人類全体の努力の結果とは言え、でもその中で人類にもっとも大きい貢献をした人達を忘れてはいけない。
例えば電灯の発明者エジソンがいなければ今みんなどんな生活をするか想像もできない。みんな貧乏なアフリカの人よりももっとまずしい生活をしているはずだ。また飛行機発明者のライト兄弟、蒸気機関車の発明者ワット、有名な音楽家ベートーベン、またいろんな分野での有名人達の遺伝子をたくさんの人がもらったら、発明がどんどん出るし、美しい音楽もどんどん出て世界は今よりもっと豊でもっと美しくなるはずだ。
今遺伝子強化は貧富によって南北問題が生じるなどいろいろな反対意見があるが遺伝子強化によって出るいい点を考えたらそれは無視してもいい。玉にも傷がある。この世の中完璧なものはない。私は遺伝子強化に賛成だ。
作文1-2
遺伝子強化について中国女
経済と科学技術が発展している今、遺伝子強化が話題になっている。
遺伝子強化に賛成か反対か、これからの時代に遺伝子強化が必要かが今の話題だ。
世の中の親達、たぶんすべての親が自分の子供がすばらしい人になるのを望んでいるだろう。体が健康で、頭が良くて、自分達ができなかった事をやって欲しいからすばらしい遺伝子を子供にあげて、誰よりもすぐれた人に育てようとしているだろう。
でも、そういうすばらしい遺伝子を持っているとしても、その方面に興味があるしは限らない。もし、一つの専門のすごくすばらしい遺伝子を子供に買ってあげてもその専門方面に全然興味も関心もなかったらそれで終わりになるのだ。例え、もし一つの方面でのいい遺伝子がないとしても、その人の興味、努力、それに環境を加えればどんなにすぐれた遺伝子を持っている人よりもうまくやってうまくやって成功すると思う。
これからの世の中、経済も科学技術ももっと発展して未来の世界は誰も知らぬ世界。そんな世界での競争は経済力だけではなく、人々の才能にもっとかかわりがでてくる。才能と言っても遺伝子だけとは限らない。
良い遺伝子を取って子供にあげるとしたら、経済力が強いアメリカが独占するぐらいの程度だろう。そして世界は貧富の差がもっと激しくなり、今まで求めて来た平等と平和はどうなるか想像がつかない。
親から生まれながらもらったありのままの遺伝子で自分が好きな方面に進み、その方面の知識を身につけて頑張って行くのが人生の楽しみであり、生きがいではないかと思う。遺伝子強化の追求ではなく、やる気を持って頑張り、人々と競争しながら追求するべきだと思う。そして世の中の誰もが一緒でお互いに助け合いながらより平等で平和な世界を作るべきだと思う。そうするとこの世の中はより発展するのではないか?
作文1-3
遺伝子強化について韓国女
現代の科学技術はヒトゲノムの解読にまで至った。ヒトゲノムが解読できれば遺伝情報すべてが読みとれて、遺伝子組み換えによって遺伝情報の修正が可能になるそうだ。
このような遺伝子強化が普及すると、問題点として言われているのが貧富による差、遺伝子レベルによる先進諸国と途上国との差が激しくなることだ。「自分の子どもに優れた遺伝子を与えたい。」この考えは人間の自然な欲求だ。しかし、だれでも平等に遺伝子強化を受けられるわけではない。ここで貧富による格差、先進諸国と途上国との格差が起こるはずだ。
しかし、率直に言って私はそこまでは想像さえできない。ただ、自分の子どもに遺伝子強化を与えるかどうかを聞かれたら、私は賛成だ。自分にない才能を自分の子どもに与えたいと思うのは当然なことだ。それを筆者は社会の様子を大きく変化させると書いていた。もちろん、筆者が書いた通りいろんな所で、いろんな差別が行われるかもしれない。だが、その才能というものが、遺伝子を持ったとして全部発揮できるしは限らないだろう。人間の才能も完全に遺伝子によって決定されると言ってもいいだろうか。私の論旨があいまいになるかもしれないが私の賛成という結論は人々の自由に任せた方がいいではないかということだ。
自然のままでも遺伝子強化をしても人間の潜在能力は鍛錬によって一流になれるのではないか。時間の差は多少あるかもしれないが。私がただ記述したいことは自分の子どもが自分の潜在能力を早めに発揮できるように使用できればそれに越した事はないと思う。科学技術は人間のために発展すべきだ。それによって人間の生活が不幸になったらそれこそ、ほんとうに意味がないと思う。